イツイのいい旅夢気分『キューバ万歳編』 3・2〜3.11 2005
一年越しの夢がようやく叶い、今回バンドメンバーには申し訳ないが、単身キューバに行きました(奴らは奴らで関西行ってるし、まあいいか)。旅自体は2.
15〜3.16の一ヶ月であり、メキシコ、グアテマラ、そしてキューバに行ってきました。メキシコの代理店でチケット購入したんだけど、店員(キューバ
人)のテンションの高さには、行く以前にこの国の末恐ろしさが予感させられたのであった。踊ってないで早く仕事しろ!!!!
「第一章 夢のキューバに上陸の巻 謎の機内食」
飛行機は五十人乗りぐらいのプロペラ機、キューバの航空会社〔CUBANA〕に乗り、いざ出発!!フライト一時間の時差二時間。距離感がわからん。機内で
も驚きの連続。機内食が超ショボイ。サンドイッチ(チーズ、ハム、ツナ、バターとか付いてない)、マカロニ、以上。調味料とか不足してるんだろう。徐々に
高まる不安を僕はラムコークをかっ喰らい、誤魔化した。
一時間してようやくキューバに到着。空港はシンプルだが、いたって普通。ただ気になるのは、職員が私服なこと。なめてる。代理店に初日のホテルとトラン
スファーは頼んでいたので無事三ツ星ホテル【リンコーン】に着いた。これまたショボイ。なんやかんやですでに9時をまわっていたが、キューバの夜はそう簡
単に私を寝させてはくれなかった。
「第二章 キューバンナイトの巻 調子イイ奴ら」
偶然にも滞在中の二日間、カーニバルに遭遇することが出来た。海岸沿い【マレコン通り】を練り歩くパレード、その近くでレゲイ、レゲトン、ヒップホップ、
サルサなどを爆音でかけて踊り狂う人たち。不味いビール(1.5リットル約100円)を右手に私もズンズン練り歩く。途中で知り合ったクバーノ(キューバ
男)と共に野次馬。目が合ったら友達。調子イイ奴ら。パーティは終わらない。
二日目のカーニバルは昼間に行ったんだけど、海を見ながらボブマリーを爆音でかけ踊っているラスタ集団に目を奪われてしまった私は、やつらに呼び止められ
私もドレッド(?)にさせられてしまった。頭洗えない、痒い。死ぬ。切りたい。
日本人は大人気(金目当てか?)。みんな声掛けてくる。シャイボーイな私はクバーナ(キューバ女)の誘い(ダンスだよ)を断ってしまった。ダメだなぁ。と
にかく皆音楽が好き。音楽があればどこでも踊るし、歌う。こいつ等音楽があれば生きていけるんだろうなぁ。と思ったが、実際はそうはいかないんですよ。
「第三章 お金ちょーだい 社会主義の現状」
クバーノは、観光客に対しとても親切だ。すぐに声掛けてくるし、アドレスとかすぐ交換したがる。人懐っこい性格。しかし彼らのやさしさの裏側には常にお金
が絡んでくるのである。写真をとっても「一ドルくれ!」、道を聞いても「一ドルくれ!」、お酒おごって!、石鹸買って!、一緒に連れてって!(俺が金を払
う)と彼らの人懐っこさ、優しさはお金がかかるのである。〔例えるなら、ちょいと前日本ではマクドナルドでスマイルが0円だったが、キューバでは100円
もする。といった具合である。実際にはマックなんていいもんありませんが。〕そんなこんなで、私がクバーノに投資したのは総額50ドル位になるだろう。と
ほほほ。しかしこの国民性は、仕方ないといったら仕方ないのである。未だに配給制で、厳しい中央統率、掃除婦なんかは月収10ドルとかなり厳しい。
キューバの町並みは植民地時代の名残が未だに残っており美しい。しかし、夜になると街灯一つなく真っ暗になる様はクーバノを象徴し、いつもどこかに暗い影
を背負ってる生活を余儀なくされているのである。
「最終章 さらばカストロ Hasta la Victoria siempre.」
10日間のキューバはかなり疲れた。上記のようにクバーノは私ら観光客を休ませてはくれない。油断もスキもあったもんじゃない。そんなクバーノは幸せなの
だろうか?
帰りの飛行機で、なんだか後ろ髪引かれる思いがした。憎みたくても憎めない。10年、20年後この国はどのようになっているのだろうか。私はカストロが生
存している社会主義国キューバを体験できたことを誇りに思っている。そして今後のキューバを暖かく見守っていこうと心から誓いキューバを後にしたのであっ
た。
これ以上書くと“『ほっ』と一息”にならないのでこのくらいで終わらせていただきますが、もっと深い話が聞きたい方は、直接お話しますので気軽にお声
をおかけください。さーて、バンドがんばるかな。