Itui
小説 「松田聖子に憬れて。」 第二回
四時を過ぎて、ようやくブラウン管から目を離した松井は今朝から何も口にしてないことに気づき、コーヒーでも飲もうかと席を立つ。一杯分のコーヒーは飲め
そうだ、カップにインスタントコーヒーを入れポットの残りを注ぐ。ぬるいコーヒーで空腹を紛らわす。彼はあまりコーヒーが好きではないのだが。
テレビでは依然として新体操がおこなわれており、丁度日本選手の演技が終わったところらしい。台所からはテレビ画面は見えないが、かろうじて日本コール
だけは耳に入ってきた。再びブラウン管の前に座ると、古館伊知朗がインタビューをしている最中だった。どうやら日本はこの種目で金を取ったらしい。繰り返
されるリプレイと、古館の執拗なコメント。少しばかり気をとられてしまった。彼はあまり古館が好きではないのだが。
くそつまんねぇからチャンネルを変えよう。おっ、松浦亜弥がでてる。松井は松浦亜弥をオナペットとして使用している。もう100回は彼女で抜いただろう
か。だが、松井は本当のところ、松浦亜弥がそんなに好きではない。彼が敬愛しているのは松田聖子だけなのである。赤いスイートピー。彼の大好きな歌だ。
埃っぽくて暗く、雑然としていて臭い部屋の中で彼の右手は驚くほど素早く動く。コウモリみたいな人間。深夜になるとつかつかと食料を調達しに家を出、無
駄に夜道の女性を尾行したり、公園でブランコに乗ったり、チャリをパクったり、捕まったり。どうしようもない人間。夢も希望もない人間。歩くオナニー。
がんばったことなんて一つもない。常人ではない。恋愛もしたことないし、ましてや、女人と話したことなんてここ何十年とないんじゃないだろうか。もう終
わりにしようかなぁ。そう思うと彼は、徐にテーブルに置いてあった広告の裏に何かを書き始めた。取り付くように何かを綴っている彼の周りにはティッシュの
塊が何十個と転がっており、彼の背中を一心に見つめていた。
続く